“商業はマグネット”――人・モノ・知識をつなぎ、道を拓く茶師の物語 | 横浜商科大学
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YCC MAGAZINE
Beyond YCC - 学びの向こう側

“商業はマグネット”

――人・モノ・知識をつなぎ、

道を拓く茶師の物語

大学での学びは、その先にどのような道を拓くのでしょうか。
記事企画「Beyond YCC – 学びの向こう側」では、さまざまな分野で活躍する卒業生にフォーカスし、学びの先に広がる世界をご紹介します。

今回登場いただくのは、株式会社茶来未 代表取締役社長の佐々木健さん。
貿易・観光学科を卒業後、料理人や飲食店経営を経て日本茶の道へ進み、今では次代の日本茶業界を担う茶師のひとりとして期待されています。大学生時代には、学園祭でタレントやメディア取材を誘致するほどの名企画をまとめ上げたという伝説もあるそうです。

常に学びに貪欲で、多彩な活動を通じて自らの輝ける道を切り拓いてきた佐々木さん。
紆余曲折を経ながらも、飄々とした中に確かな芯を持ち、歩みを積み重ねてこられたこれまでを伺いました。

佐々木健

佐々木健

株式会社茶来未 代表取締役社長

佐々木健

株式会社茶来未 代表取締役社長

大学卒業後、調理の修業を経て飲食店を多数展開。料理専門誌やTVに多数出演するなど、料理人としての地位を確立する。製茶工場の社長との出会いをきっかけに日本茶の製茶技術を学び日本茶の道へ。神奈川県鎌倉に「鎌倉若宮大路茶来未」をオープンし、現在は藤沢に製茶工場兼店舗を構え飲食店向けの緑茶や企業向けのオリジナル抹茶の商品開発など多岐にわたる商品づくりに取り組んでいる。世界緑茶コンテスト最高金賞や藤沢市からマイスターの称号を得るなど受賞歴多数。日本茶業界を担う茶師として活躍している。

株式会社茶来未 公式サイト

INDEX

好奇心と挫折から拓かれていく道

もともとどういったことに興味があり、横浜商科大学を選ばれたのでしょうか?

佐々木: 小学生の頃から熱帯魚の飼育や釣りが好きでした。自室には当時水槽が20個ほどあり、自分なりにDNAを考察しながらグッピーの繁殖を実験してみたりと、とても関心を持っていたんです。そうして小中学時代を過ごし、ある時ご縁があって専門家の先生と出会ったことで本格的にのめり込み、水族館の館長になりたいと思うようになったんです。

佐々木

その夢が進路につながっていくのでしょうか?

佐々木: そこからはまた少し紆余曲折がありまして。中学3年になって進路先を考えようという時に、水族館の館長になるには海洋学部に進む必要があるとはじめて知るわけです。ただ、海洋学部がある学校は限られていて狭き門でした。理数系の科目が得意ではなかった僕にとって、相当頑張らないとまずいぞ…という状況だったんです。
そんな頃、新種の熱帯魚が発見されて話題になり、とても興奮して一体誰がどうやって見つけたんだろうと調べていくと、採集業者や専門家がいると知りました。それは世界を巡って希少性の高い魚を探す仕事で、語学や貿易知識は必要だけれど決まった経歴は不要だと知り、自分らしい挑戦ができる道だと感じました。そこから当時の横浜商科大学に貿易・観光学科があることを知り、「ここだ!」と思って横浜商科大学高等学校を受験したんです。

探求心があったからこそ自分らしい道を見つけられたように感じます。

佐々木: ただ、海洋の道を最初から目指していたわけではなく、学生時代は多くの挫折を経験しました。スポーツも得意でさまざまな競技をやっていましたが、常に上には上がいて、それもプロの道に進むような同級生がいてまったく敵わないんです。どうしても超えられない壁が次々と立ちはだかる経験を重ねるうちに、無理に張り合おうとせずに、自分が輝ける場所を見つけようといろんなことに挑戦するようになっていきました。

やってみないとわからない。学園祭でのある挑戦

そうして高校を経て、横浜商科大学に進学されますね。その間も目標は変わらず勉強に励んでいくのでしょうか。

佐々木: そのつもりでしたが、思った以上に貿易関係の講義が難しく、どうにも自分には合わないと思えてその道も途中で諦めてしまうんです。それで、多くの学生と同じように勉強に遊びに忙しくしながらまた道を探し直すわけです。

忙しく過ごされた大学での思い出深い出来事はありますか?

佐々木: 一番の思い出は、やはりゼミで参加した学園祭でしょうか。ゼミの先生はとても親身で、僕が最もお世話になった方でした。ただ、ゼミの雰囲気は少し独特で、メンバーは「超真面目な生徒」と「自由な生徒」にきっぱり分かれており、まるで正反対の二つのグループが同居しているようでした。

なんだか漫画のような世界ですね。

佐々木: 当然、気も合わないのでゼミ全体で何かをしようという話はありませんでした。ところが学園祭の時期が近づいたある日、先生が突然「コーヒーショップを出店しよう」と言い出したんです。先生の研究分野はブラジルの長期波動と経済成長で、「ブラジルといえばコーヒーだろう」と、いささか短絡的な理由でした。とはいえ、僕はもともと経済にも興味があり、経済紙を読んだり外食産業でアルバイトをしていたので、お店を運営することに関心があったんです。
真面目な生徒たちは「今からじゃ間に合うはずがない」と猛反対しましたが、責められる先生を見かねて、つい「やってみないとわからないじゃないか!」と啖呵を切ってしまって。すると先生は「佐々木さん、やる気ですね」とニコニコし、もう後には引けなくなったのです。

すっかり先生に乗せられてしまったと…。佐々木さんご自身に強い思いがあったのかと思いましたが、意外なきっかけでした。

佐々木: 啖呵を切ってしまった手前自分が進めるしかないと思い、急いでスケジュールやタスク、予算などをすべて企画書にまとめ、先生に見せました。「完璧ですね」と満足そうに言うんだけどその次には、「せっかくやるならブラジルに縁のあるタレントを呼びましょう」と言い出して。次から次に何を言うんだと思いながらも、面白そうだったのでゼミ生全員で考え、当時ブレイク真っ只中だったタレントのマルシアさんがいいのでは、という話になりました。

と言っても、コネクションはあったのでしょうか?

佐々木: もちろんありません。そこで事務所の連絡先と担当者だけ先生に調べてもらい、僕がアポイントを取って事務所を訪ねました。幸運にも門前払いにはされず、企画内容やマルシアさんにお願いしたいことを一通り説明すると、「面白いじゃん」と言ってもらえたんです。「それで、予算は?」と聞かれたので、学園祭の予算数万円を素直に答えると「0が一つ足りないよ」と大笑いされてしまい…。
ただ、ここで引き下がるわけにはいかないと思って「何とかするのでチャンスをください」と頼み、数日後に再びアポイントを取りました。その時点で、学園祭まで残り2〜3週間しかなかったんです。そこからスポンサー探しやスポーツ新聞社への取材依頼などを進めましたが、結局お金は集まりませんでした。

佐々木

伺っているだけでもハラハラしてきました。

佐々木: それでも前向きに検討してもらえるよう、企画自体を見直すことにしました。当時のマルシアさんはバラエティタレントとして活躍していたので、敢えて「一日客員教授」として招く形にすれば新しい切り口になるのでは、と閃いたんです。多言語を話し頭の回転も早い方なので、事務所としてもそういった路線の方が望ましいでしょうし、メディアとしても取材のネタになりやすいと考え、企画を一から練り直しました。
そして事務所に新しい企画を提案し、取材や広報の段取りなど先回りして動いていることも一つひとつ伝えると、観念したように笑って承諾してくれました。結局予算は増やせませんでしたが、出演を引き受けてくださったんです。

学生とは思えない交渉術ですね…!

佐々木: 今思うと無謀ですよね(笑) そうやってなんとか実現に漕ぎ着けたので本当は進行役などやりたかったのですが、ゼミが一体となる良い機会でしたので、司会や装飾、呼び込みなどの役割を全員に割り振って、全体を統括するプロデューサー的な立場に回ることにしたんです。本当に時間はありませんでしたが、ゼミ生全員を巻き込んで無事にマルシアさんをお迎えでき、新聞にも取材してもらい大盛況でした。

職人であり、経営者へ

ものすごいお話でした。ここまでやり遂げられる学生はそういませんが、先生が佐々木さんの特性を見抜き、輝くきっかけを与えてくださったように感じます。
そんな大学生活を経て、卒業後の進路はどのように決められたのでしょうか?

佐々木: 学園祭の一件をきっかけに事務所から声をかけてもらったり、貿易の勉強を諦めた後も興味の幅が広がって迷っていました。そこで信頼していた先輩に相談すると、「お前は社交性も行動力もあっていろんなことができるかもしれないが、手に職をつけるのは早い方がいい」と言われ、以前から興味のあった料理の道を目指す決心をしました。
とはいえ、料理の道ももちろん簡単ではなく、専門学校などを経るのが一般的です。それでも大学の就職課で見つけた上場企業の飲食業の求人に目をつけ、無理を承知で直談判し、何とか調理担当として採用してもらえました。当時は人手不足で、いわゆる「売り手市場」だったことも幸いしたんだと思います。

大胆な決断のように思えますが、料理人の道はどうだったのでしょうか。

佐々木: 職人の現場らしく、朝から晩まで厳しく鍛えられましたね。調理の技術を磨きながら、会社にアイデアを提案したりメディアに出演したりと独自の動きを重ね、短期間で調理長に昇進し、着実にステップアップできている手応えがありました。
ただ、3年続けたら大手の会社を辞めて自分でビジネスをやる、と決めていたんです。独立は小学生の頃からの目標の一つでした。大企業の仕組みは理解できたので、次は中小規模の飲食店で経験を積もうと、いくつかの個人経営店で働くことにしたんです。

独立の下準備として動かれていたんですね。中小規模のお店でどういった経験を積まれたのでしょうか。

佐々木: 小さい町中華料理店で2年ほど働きましたが、規模が小さいと料理だけでなく経営やマネジメントについても考えなければなりません。開店準備からフロアの動きまで、大企業時代は他の担当者が行っていた仕事もすべて覚えようと、一通り経験しましたね。さまざまなことを身に付けた後に起業したんです。
自身の会社では「ヌーベルシノワ」という新しいスタイルの中華料理をコンセプトとした飲食事業を始め、5店舗ほど展開するなど順調なスタートを切りました。ところが、しばらくして中国製冷凍餃子中毒事件による風評被害で客足が遠のき、経営は厳しい局面に立たされてしまったんです。さらに当時は、クックパッドなどのプラットフォームを通じてさまざまな個人の料理人が注目され、新規出店が相次ぐ時代でした。そうした業界の流れを受けて、このままではいけないと新たな業態にもチャレンジしました。

佐々木

自分なりの日本茶を求めて

その新たな業態が、現在も手掛けられている日本茶ですね。

佐々木: これは唐突に出てきたアイデアではなく、実は小学生の頃に祖母の影響で茶道を習っていたんです。また、喫茶文化発祥の地である鎌倉も地元に近かったりと、縁のある要素が多かったので、日本茶を新たな軸にしようと考えました。思い立つとすぐ勉強を始め、世界緑茶コンテストで最高金賞を獲得するまでに技術や味を磨きました。それをきっかけに注目されるようになり、日本茶事業が軌道に乗っていったんです。

事業は順調に成長していったのでしょうか。

佐々木: 日本茶の事業は、既存の飲食店事業に代わる柱として長期的に育てていこうと考えていました。ところが2011年に震災が起こり、飲食店の客足は一気に途絶え、計画停電によって仕込みもできない状況になってしまいました。営業がままならない状況を何とか3ヶ月耐えて、いざ営業再開しようという矢先に、神奈川県産のお茶からセシウムが検出された報道があり、卸していた商品がすべて返品されてしまったんです。実際には神奈川県産のお茶は扱っていませんでしたが、「神奈川県で卸業をしている」というだけで誤解されてしまい、ついに立ち行かなくなりました。
それで従業員全員に頭を下げて退職してもらい、藤沢に家賃5万の小さなプレハブを借り、一人社長として一からやり直す決断をしたんです。

築き上げてきたものを手放すことは、辛い決断だったのではないでしょうか。

佐々木: 誰かに雇われていたら逃げていたかもしれません。でも、創業者として「自分は汚れても会社は汚したくない」という思いがありました。自分の子供のような存在ですからね。
また、一人になったことで気持ちを切り替えられ、フットワークも軽くなりました。プレハブを事務所兼店舗にし、製造は他の工場を借りるなど、規模は小さくなってもやるべきことは変えず、少しずつ事業を取り戻していけたんです。

佐々木

経営の立て直しも苦労が計り知れませんが、日本茶という歴史ある分野で評価を得ることも容易ではありません。どのように取り組まれたのでしょうか?

佐々木: これまで見てきたあらゆる業界の知識を活かそうと思いました。歴史の深い業界には一定の作法がありますが、その土俵で戦うのではなく、さまざまな技術を駆使する“総合格闘家”のようなスタイルですね。僕の場合は、料理人としての視点と飲食店経営者としての経験を組み合わせてみようと考え、そうして生まれたのが「十二微細分類製茶法」というものなんです。

名称からしてとても複雑そうです。

佐々木: 例えば、マグロは部位ごとに切り分けてそれぞれに合った調理をしますよね。カマは塩焼き、トロは刺身というように、部位によって美味しい食べ方があるわけです。しかし、お茶はすべてまとめて焙煎し、その後に粉を抜いたり生焼けの部分を別で使ったりと、後から用途を分けるやり方が主流でした。マグロでいえば、一本丸ごとをオーブンに入れて「ここは半焼けだから刺身、ここはよく焼けているから焼き物にしよう」と後から解体するようなものです。
そこに疑問を抱き、茶葉をピンセットで極限まで分解し、各部位の養分を大学と共同で調査しました。そうして部位ごとの特徴を把握し、それぞれに適した製法を体系化したものが「十二微細分類製茶法」なんです。

料理人らしい視点と事業者らしい開発力が融合していますね。

佐々木: そうやって自分の強みを活かしたアプローチによって、日本茶の業界に参入してから1年で最高金賞を受賞できたのは、本当に嬉しいことでした。それと同時に、「ここが自分の輝ける場所なのかもしれない」という天命のようなものも感じましたね。

マグネットのように、あらゆる物事をつなぐために必要なこと

まさに酸いもも甘いもご経験されてきたこれまでの中で、変わらず大事にされてきたことはありますか?

佐々木: 縁のあった人と何か一緒に取り組むときは、自分を犠牲にしてでも相手が輝ける環境をつくりたいという思いがあります。例えば学園祭の話でいえば、自分の手柄としてやり切ることもできましたが、当初反対していた人にも役職を担ってほしかったんです。会社も同じで、もちろん社長として引っ張っていく場面もありますが、社員一人ひとりが輝ける場所でありたいと思っています。
純粋に、人の成長を見ることがとても楽しいのかもしれませんね。子供の頃から上の世代の方々に可愛がっていただいたので、自分も次の世代に何かを還元したいという気持ちがあります。その人の成長のきっかけになるのであれば、知識でも技術でも惜しみなく伝えたくなるんです。
同時に、自分が知らないことを知っている人は立場に関係なく「先生」だと思い、常に学ぶ姿勢を大切にしています。

そうした価値観を持ってビジネスを展開されてきた佐々木さんにとって、「商業」とは何でしょうか。

佐々木: 商業とは、人と人をつなぎ、その橋渡しから利益を生み出すことだと思います。どんなに良い商品をつくる人がいても、それをどれだけ売りたい人がいたとしても、商人が間に入って結びつけなければ流通は生まれません。言うなれば、商業は「マグネット」のような存在でしょうか。

マグネットでいるための心構えはありますか?

佐々木: 商業に携わるには、プロフェッショナルというよりジェネラリストであることが重要だと思いますね。もちろん専門性はどんな仕事にも欠かせませんが、人をつなぎマネジメントする商業では、幅広い知識と経験が不可欠です。それらがあってこそ「マグネット力」が発揮され、さまざまなビジネスアイデアが生まれます。
最近だとVTuberとのコラボ商品を展開しましたが、それは取引先からの紹介をきっかけに思いついたアイデアなんです。それまでVTuberについてほとんど知りませんでしたが、新しい可能性を感じ、取引先や娘に教えてもらいながらアイデアを形にしました。結果的にそのコラボは話題になり、新しい層に知っていただく機会にもなりました。

幼少期のエピソードからも佐々木さんの知識量の豊かさを感じていましたが、そうした知ることへの前向きな姿勢があらゆる展開に活かされているように感じます。

佐々木: そうですね。昔から知識欲が強くひたすらに探求してきましたが、それをどんどんつなげていくことでビジネスが展開できていると思います。やはりどのような業界においても、歴史や文化、政治や経済といった幅広い知識は非常に重要です。例えば、映画監督は自ら演じたりカメラを回したりはしませんが、どう演じ、どう撮り、どう編集するかを中心に立って指示しますよね。それと同じように、商業はビジネスの中心に立ってさまざまな物事を動かす役割だと思うんです。もちろん細かなビジネステクニックも必要ですが、根底には「物事をいかに理解し、その関係性をいかに掌握するか」という点があると思います。

今後、佐々木さんからどのようなビジネスが生まれるのかとても楽しみです。現在考えていらっしゃる展望についてお伺いできますか?

佐々木: 日本人が日本茶について意外と知らないと感じることが多くあります。だからこそ、その魅力はこれからも発信し続けたいですね。同時に、日本茶がもともと薬として使われてきた歴史に焦点を当て、その側面での研究も進めたいと考えています。
さらに、商大とコラボレーションできる可能性を感じています。横浜は茶業の歴史と深い関わりがあり、ペリーの黒船来航の際に日本側が緑茶でもてなしたことをきっかけに輸出が盛んになったとも言われています。そうした歴史を踏まえると、横浜でお茶をつくるのは非常に親和性が高いんです。例えば、キャンパスに茶畑をつくって商品開発をするのも面白いかもしれません。

佐々木

アイデアが止まりませんね。楽しみです。
最後に、これまでの経験を踏まえ、これからさまざまな道に進む学生に向けてメッセージをお願いします。

佐々木: 歌舞伎には「型破り」という言葉があります。最近の歌舞伎界では、漫画を原作にした演目もありますが、それは伝統の「型」を極めた人が挑戦しているからこそ評価されているんです。一方で、世の中には型を持たずにちょっとしたインスピレーションでつくられるものも少なくありませんが、成功するには、自分の「型」を築き、その上で新しい挑戦を組み立てなければならないことを知っておいてほしいですね。僕自身も茶道を学び、伝統的なお茶の栽培や焙煎を一通り経験しました。実際にやってみると、型には理屈があり、すべてが理にかなった機能美だとわかります。その理解があってはじめて「型破り」な挑戦ができるんだと思います。

そしてもう一つ大切なのは、自分の才能に気づくことです。それがビジネスにつながるのかはやってみなければわかりません。茶道の経験も、仕事に結びつくとはまったく想像していませんでしたからね。自分の特性を見極め、それを「マグネット」のようにビジネスとつなげれば、自分だけの価値が見えてきます。才能も可能性も、視野を広く持つほどに広がります。だからこそ、さまざまなことに深く挑戦してほしいですね。