地域産業研究所

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横浜商科大学地域産業研究所の情報を発信します。

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2015年3月に鶴見区と本学は「包括連携協定」を締結し、様々な事業で協力していくことになりましたが、その一環として、「鶴見区工業会」が発行する「鶴見区工業会会報」の中で工業会所属企業を紹介する記事を商科大が担当することになりました。

今年、鶴見区が区制90周年を迎えるにあたり、これまで商科大学で担当してきた22社と、鶴見区らしい企業、事業所等41箇所の取材記事を新たに加えてまとめ、『TSURUCHARM~私が見た鶴見★しごと~』として冊子を発行することとなりました。

本ブログでは、冊子のなかで紹介できなかった内容について広くご紹介致します!
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今回は、鶴見駅からほど近い、鶴見区の中心に位置する曹洞宗大本山總持寺に伺いました。取材を担当するのは、小林地域産業研究所長、高羽地域産業研究所研究員、学生スタッフ菅野(商学科3年)です。この記事は菅野が執筆を担当しました。

【曹洞宗大本山總持寺、どんなところ?】
總持寺は、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)禅師によって1321(元享1)年に現在の石川県輪島市で開かれましたが、明治31(1898)年、不慮の火災により多くの伽藍(がらん)が焼失してしまいます。複数の移転先が検討される中、神奈川県橘樹郡生見尾村(たちばなぐんうみおむら)鶴見(現在の鶴見区)でも、曹洞宗・成願寺(じょうがんじ)や、成願寺の本寺である馬場村の建功寺(けんこうじ)を中心に鶴見への移転嘆願書を提出し、実業界からの後押しも受けて熱心に嘆願を行いました。

その後貫首となった石川素童(そどう)禅師は、将来の展望と布教の使命から、1911(明治44)年、大英断をもって本山を現在の鶴見の地に移しました。移転以来100年余り、福井県の永平寺と並ぶ禅の根本道場として、大勢の僧が修行に励んでいます。

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(取材を受けてくださった、山口正章副監院)

【鶴見との関わり】
總持寺は鶴見駅にほど近い鶴見区の中心地にあり、15万坪という広大な敷地には、3,000人を収容できる大本堂(大祖堂)や、歌人・与謝野晶子がその素晴らしさに驚嘆したという石畳の佛殿、数万坪の墓地などがあります。また、教育と福祉にも取り組んでおり、運営する幼稚園や中学高校、大学等も隣接しています。出入り自由のオープンな敷地は、子供から地元のお年寄りまでたくさんの方が散歩を楽しむ憩いの場となっています。

近年は地元との関わりをさらに重視する方針を打ち出し、「まちの発展を託して迎えた大本山總持寺と、鶴見区とのより豊かな文化交流をすすめること」を目的とした「つるみ夢ひろばin總持寺」を開催するなどしています。

【雲水(修行僧)について】
總持寺では、毎年百数十人ほどの雲水が厳しい修行に打ち込んでいます。多くが全国各地から集まってきたお寺の跡継ぎの方。最近は、外国から修行に来られる方もいらっしゃるそうです。取材に伺った日はちょうど坐禅を集中的に行う日だったようで、見学中もたくさんの雲水の方とすれ違いました。
そんな雲水の一日は、朝4時起床→読経→朝6時朝食→作務(さむ)(各自が担当する掃除や炊事等の作業)、読経→11:30昼食→作務、読経→16:45夕食→入浴→坐禅→21時就寝、というスケジュールだそうです。時間は決められていますが、雲水は腕時計を持ちません。各所にある太鼓や鐘の音で時間を知るそうです。
 
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(修行の様子)

【總持寺の見どころ】
取材を受けてくださった山口副監院に、「總持寺の見どころ」をお聞きしたところ、「大雄宝殿(佛殿)」や、畳千畳もの広さを誇る「大祖堂」をあげてくださいました。また、そういった見どころだけでなく、修行している雲水の姿を見て、身近に感じてほしいそうです。「街中で見かけたらぜひ話しかけてください」とおっしゃっていました。また、7月に開催される「み霊祭(みたままつり)」では、雲水の方たちの激しい踊りが見ものです。盆踊りや僧侶への印象が一変するはずです。ぜひ一度参加してみてください。

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(取材の様子)

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(山口副監院と商科大学生記者)

【見学~佛殿】
インタビューの後、雲水の方に總持寺の境内を案内していただきました。その中でも印象的だった場所をご紹介します。

佛殿は、大雄宝殿(だいゆうほうでん)とも呼ばれる場所で、石畳の黒く光る床が特徴です。この場所には歌人・与謝野晶子の逸話が残されているそうです。
鶴見で和歌の会を行っていた与謝野晶子は、非公開だった總持寺の佛殿の内部が見たくてたまらず、和歌の会があるたびに何度も頼み込んだそうです。總持寺の方たちはその熱心さについに折れ、ある時、晶子を招いて佛殿の扉を開いたそうです。晶子は、一目内部を見て、黒々とした鏡のような床の荘厳な美しさに打たれ、あまりにも美しく磨かれた床に足を踏み入れることができず、和歌を一句残して去っていったそうです。その歌は、總持寺に石碑として残されています。
「胸なりてわれ踏みがたし氷よりすめる大雄宝殿の床」

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(与謝野晶子の歌碑(晶子の孫、与謝野馨の筆))

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(大雄宝殿(佛殿)の外観)

佛殿は現在も内部への立ち入りはできませんが、窓から中を参拝することができるようになっています。

【見学~百間廊下(ひゃっけんろうか)】
東西の伽藍群をつなぎ合わせている廊下で、長さ164メートルもあります。毎日雲水の方たちによって雑巾がけが行われているため、木の廊下はすっかりなめらかになっており、美しく光っていました。

廊下の横には「たたき」がありますが、鶴見事故のご遺体を一時安置した場所だと伺いました。鶴見事故は、1963(昭和38)年に起きた鶴見~新子安駅間の列車脱線多重衝突事故で、死者161名を出す大惨事となった事故です。總持寺では、毎日の廊下の拭き掃除の後、土間に水で長い二本の線を描くそうです。最後にじょうろをくねらせて水の筋を曲げて終えるのだそうですが、これは一説によると、二本の長い線香と、線香から出る煙を表し、犠牲者の慰霊を願う意味があるそうです。このお話を伺って、總持寺が鶴見の歴史とともに歩んできたこと、そしてこの地に寄り添い、日々祈りを捧げてくださっていることを実感しました。

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(磨きこまれた百間廊下)

【見学~単位の由来!?】
大僧堂は、總持寺に百数十人いる雲水の方たちのための伽藍です。雲水の方が食事をし、眠り、坐禅を組む、修行に専念する場であるため、一般の人は中に入ることができません。入口で雲水の修行について伺いました。

雲水の方は、寺に入って最初の1週間はひたすら壁に向かって坐禅を組むのだそうです。席を外すのが許されるのはトイレのときだけ、という厳しさで、その1週間が終わると、大僧堂に自分の場所である、「単(たん)」と呼ばれる一畳分のスペースをいただけるのだそうです。雲水の方は、そこに自分の荷物を置き、坐禅を組み、毎晩その場で眠り、食事をいただきます。単をいただくことを、「単(たん)の位をいただく」と言うそうで、私たち大学生が取得するのに四苦八苦する「単位」はこれが由来だそうです。驚きました。

【見学コース参加のすすめ】
總持寺は境内を自由に参拝することができますが、時間があれば、雲水の方に案内していただける一周約1時間のコースに参加することをおすすめします!雲水の方の説明を聞きながら巡ると、總持寺の歴史や、雲水の方の修行の様子がとてもよくわかります。予約もできるそうなので、ぜひ参加してみてください。

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(袈裟について雲水の方が説明してくださっている様子)

【取材を終えて】
以前、總持寺のみ霊祭(みたままつり)に参加したことがあったので今回の取材は楽しみでした。取材を通して、雲水の方の修行の様子を知り、身近に感じられるようになりました。街中で雲水の方をみかけた際はぜひ話しかけたいと思います。また、これからは總持寺の魅力を周囲に伝えていきたいと思います!
取材担当:商科大・菅野

★曹洞宗大本山總持寺
http://www.sojiji.jp/

2015年3月に鶴見区と本学は「包括連携協定」を締結し、様々な事業で協力していくことになりましたが、その一環として、「鶴見区工業会」が発行する「鶴見区工業会会報」の中で工業会所属企業を紹介する記事を商科大が担当することになりました。

今年、鶴見区が区制90周年を迎えるにあたり、これまで商科大学で担当してきた22社と、鶴見区らしい企業、事業所等41箇所の取材記事を新たに加えてまとめ、『TSURUCHARM~私が見た鶴見★しごと~』として冊子を発行することとなりました。

本ブログでは、冊子のなかで紹介できなかった内容について広くご紹介致します!
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今回は、ブラジル雑貨等を販売、提供するYURIショップに伺いました。取材を担当するのは、小林地域産業研究所所長、高羽地域産業研究所研究員、学生スタッフ大橋(観光マネジメント学科3年)です。

【YURIショップ、どんなところ?】
YURIショップは、鶴見区仲通り商店街にある、ブラジル、フィリピン、ペルー等の日用雑貨や加工肉、調味料、豆類等の売り場とブラジル料理のレストランが併設された専門店です。レストランでは本格的なブラジル料理が提供されていますが、そのほとんどすべてにブラジルの国民食である豆の煮込みスープが付いてきます。このスープの材料である豆類はYURIショップで1番の人気商品です。
ブラジル以外にも、フィリピン、ボリビア、ペルー、アルゼンチン等、様々な国の人たちがこの店に足を運んできます。

★YURIショップブログ_1.JPG(取材の様子)

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(人気商品の豆たち)

【ブラジル出身者の多いまち・鶴見】
鶴見区には横浜市内全体の半数を超える1000人以上のブラジル出身者が暮らしています。鶴見区はもともと京浜工業地帯の工場で働く人々が住む町として発展し、そのなかには沖縄出身者も多く含まれていました。1990年代以降、鶴見に住む親戚や兄弟を頼り、かつて沖縄から南米に渡った人々の子孫にあたる日系2世、3世が来日するようになり、現在に至ります。

社長の小橋川百合子さんも、ブラジルのサンパウロ出身の日系2世で、1989年に来日しました。当初は2年程度働き、ブラジルに帰国する予定でしたが、17年前、先に友人が経営していたこのお店を受け継ぎ、以来、鶴見に在住しています。お店を始めた当初は友人が経営していた「ロジールYURI」という名前をそのまま使っていたそうですが、3年前にYURIショップに改名したそうです。

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(お話を伺った小橋川社長)

YURIショップは、小橋川社長のご両親や娘さんと共に経営しています。また、ご兄弟は千葉で同様のブラジル雑貨のお店を開いているそうです。日本に来て小橋川さんファミリーが一番苦労したことは、日本語を覚えることだったそうで、来日当初は大変だったとおっしゃっていました。

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(小橋川社長とお父様)

【地域とのかかわりあい】
2015年秋、日本とブラジルの外交樹立120周年を記念した「ブラジルWEEK in つるみ」が、鶴見区、ブラジル総領事館の協力を得て鶴見区で開催されました。ブラジルの音楽(サンバ)や料理、スポーツなどブラジルの文化に触れる機会として大変な反響を呼び、翌年も2年連続で開催されました。YURIショップもイベントスタッフに出される食事を無料で提供し、とても喜ばれたそうです。

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(YURIショップで食べられるブラジル料理)

ブラジルでは、毎食のように肉と豆を食べるそうで、YURIショップにも珍しい加工肉等の食材がたくさん売っていました。

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(ブラジル料理に欠かせないコーヴェ(ケール)も取り扱っています)

また、今回の取材中に、パステルという牛肉やタマネギを小麦粉でできた皮で包み揚げたブラジル版揚げ餃子をいただきました。想像していたよりも大きなサイズで、1つ食べただけでお腹がいっぱいになり、とても美味しかったです。店内ではこの他にも色々なブラジル料理を食べることができます。一番の人気メニューはピザだそうです。小橋川社長は、いつか2号店として、レストランを開くという目標があるとおっしゃっていました。

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(パステルを食す大橋記者)

【取材してみての感想】
小橋川社長の気さくな人柄と、YURIショップの明るい雰囲気に触れ、あまり緊張せずに取材を終えることができました。これからもYURIショップには日本とブラジル文化の交流の掛け橋としてありつづけてほしいと思いました。

★YURIショップブログ_8.JPG
(YURIショップの前で)

2015年3月に鶴見区と本学は「包括連携協定」を締結し、様々な事業で協力していくことになりましたが、その一環として、「鶴見区工業会」が発行する「鶴見区工業会会報」の中で工業会所属企業を紹介する記事を商科大が担当することになりました。

今年、鶴見区が区制90周年を迎えるにあたり、これまで商科大学で担当してきた22社と、鶴見区らしい企業、事業所等41箇所の取材記事を新たに加えてまとめ、『TSURUCHARM~私が見た鶴見★しごと~』として冊子を発行することとなりました。

本ブログでは、冊子のなかで紹介できなかった内容について広くご紹介致します!
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今回は、キリンビール株式会社横浜工場に伺いました。取材を担当するのは、小林地域産業研究所所長、高羽地域産業研究所研究員、学生スタッフ笠間(商学科2年)です。

【キリンビールの沿革、成り立ち】
「キリンビール株式会社」は、1885(明治18)年、在留外国人によってつくられた横浜山手の「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の事業を継承し、1907(明治40)年に設立され、今年で110周年をむかえています。

創立当初より、ドイツ人技師を招聘して、本格的なドイツ風ビール醸造を目指しました。三菱財閥の実業家・荘田平五郎の発案で古代中国の想像上の動物「麒麟」をラベルに採用したはじめての「キリンビール」は、1888(明治21)年に発売されました。その翌年1889(明治22)年、変更されたデザインが現在のデザインの原型です。
 
★キリンビールブログ_1(1888(明治21)年ラベル).jpg
(1888(明治21)年ラベル)
 
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(1889(明治22)年ラベル)

1900(明治33)年に100社を超えていたビール醸造所は、1901(明治34)年麦酒税法が施行されると、競争が激化。淘汰の時代となり、たった1年で23社に激減、生き残った大手各社は合併により競争を回避しようとし、1906(明治39)年、札幌麦酒・日本麦酒・大阪麦酒の3社合同による大日本麦酒株式会社が設立され、東洋一の地位を獲得しました。このとき、ジャパン・ブルワリー・カンパニーにも合併の話がありましたが、大日本麦酒とは経営方針が異なるということを理由に、この提案を断りました。

ブランドの本質を変えずに、「キリンビール」の商標を守るという独自の生き残りをかけ、三菱から人材と資金の援助を受けて、新会社設立に向けて準備を始め、1907(明治40)年に「麒麟麦酒株式会社」が創立しました。

【横浜工場について】
1923(大正12)年9月の関東大震災により、横浜山手工場は甚大な被害を受けましたが、1926(大正15)年6月に現在の横浜生麦に最新設備を備えた新工場を完成させ、震災から3年で本格的な製造ができるまでに復旧しました。その後設備等の改修などを経て、現在では全国にあるキリンビールの工場の中でも環境に優しく市民に開かれたファクトリーパークとして、操業を続けています。
 
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(完成時の横浜新工場)

また、横浜工場でつくられたビール類は、主に関東圏内に出荷されていて、現在、全国に9つあるキリンビールの工場のなかで、2番目に多いビール出荷量を誇ります。
 
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(取材の様子)

【横浜工場の最近のトピックス】
横浜工場は、敷地内にビオトープ(多種の生物が共存する緑地や水辺等の環境)を設置して一般開放するなど、工場周辺や高速高架下の緑化活動を積極的に推進しています。今年8月には、工場近くで発生した生麦事件の碑を取り囲む新たな緑地をオープンしました。

また、昨年10月には、生麦での創業90周年を記念して、工場見学を最新鋭の設備にリニューアルしました。同時期には、みなとみらいや象の鼻公園からの観光船が着岸できるキリン桟橋も完成し、工場見学ツアーを利用する方々より好評を得ています。

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(キリン桟橋)

【工場長の経営ポリシー】
神崎工場長は、ものづくりに取り組みたいという想いからキリンビールに入社し、醸造部門や研究所勤務を経て、今年3月に初めての女性工場長として横浜工場長に就任しました。横浜は、キリンビール発祥の地であるということもあり、その役割の大きさを実感しているそうです。

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(お話を伺った神崎工場長)

ビール業界が縮小傾向にあるなか、横浜工場で力を入れているトピックスとしては、まずクラフトビールの間口を広げることだそうです。横浜工場には、酒類技術研究所というビール類やRTD(Ready to Drink)(購入後にそのまま飲める発泡酒やチューハイなど)を中心とした、キリングループにおける酒類事業の製品開発の中心となる研究所が設けられており、2014年以降は特にクラフトビールの技術向上に注力されています。クラフトビールの製造設備は、主力商品の20分の1ほどの大きさで、生産量も少なく、キリンビールのなかではまだとても小さなプロジェクトですが、利益を度外視してでも、ビールの新しい飲み方を提案し、1人でも多くのビール好きを増やしたいという熱い想いが込められています。

横浜工場の敷地内に併設されている「SPRING VALLEY BREWERY YOKOHAMA(スプリングバレーブルワリー横浜)」では、通常の小売店舗では販売されていない6種類のクラフトビールを常時味わうことが出来、いつもたくさんのお客さんで賑わっています。

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(スプリングバレー横浜ペアリングセット)

また、昨年は「47都道府県の一番搾り」を発売し、話題になりました。量産効果で生産コストを抑え、収益を追求するのが大手メーカーのビジネスモデルですが、「47都道府県の一番搾り」は多品種・少量生産です。一商品に対して47の違った味をつくることはこれまでの生産現場にはなかったことであり、生産性とは相反するこの企画案についてはじめて聞いたときには、神埼工場長はじめ、工場の方々は、皆驚いたそうです。そのような中、通常は開発から生産まで1年かかるところ、7か月という短納期での生産によって新商品を市場に投入できたことは、ものづくりという観点からすると、作り手として非常に面白い経験だったそうです。

「47都道府県の一番搾り」は、それぞれの地域の気質を取り入れており、例えば「横浜づくり」は、横浜開港に伴う西洋文化の流入による「お洒落でハイカラなイメージ」や「横浜を代表する洋食文化(ナポリタン・シウマイ・牛すじ煮込み)などの濃い味)」にあうように、味をつくり上げていったそうです。

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(横浜づくり)

神埼工場長は、地元に寄り添いながらものづくりを続けていき、ゆくゆくは鶴見や周辺地域の発展に繋げていくことが、企業としての存在意義だと考えているとおっしゃっており、「ビール市場を元気にしたい」「地域に愛されるブランドにしていきたい」という強い想いが伝わってきました。
 
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(横浜工場前で、笠間記者と神埼工場長)

【充実した社員教育制度】
「キリンビール」では、販売や事務系の職員も、入社時にはまず全国いずれかのビール工場で研修を受け、自社で扱う商品について学ぶ環境を整えています。また、横浜工場では特に、都市部に位置する工場として、廃水処理などにも配慮し、臭気が出ないような工夫を行っているそうですが、自社内の「ものづくり人材開発センター」では、廃水処理や廃棄物管理関連の環境セミナーのほか、ビールづくり、ヒューマンスキル等といった多岐に渡るセミナーを多数開講しているそうです。
神埼工場長は、従業員全員が生き生き働ける企業を目指して、人が育つ教育活動にも力を入れていきたいとおっしゃっていました。

【工場見学の感想】
取材後に、「キリンビール横浜工場」の見学ツアーに参加しました。ビールの原材料、製造過程、出荷までの流れなどを見るうちに、「キリンビール」というものが、より身近なものへと変わりました。こちらの工場見学は昨年度に内容がリニューアルされ、常に3ヶ月先まで予約が埋っているとのこと。平日は400名程度、土日は600名程度のお客様がツアーを楽しまれているそうです。 

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(工場見学の様子)

見学コースのなかでは、「一番搾り」という名前の由来や他のビールとの製造方法の違い、創業当時から現在へ至るまでのキリンビールの歴史や取組みの紹介など、今まで知らなかった「キリンビール」の奥深さを感じることができました。「一番搾り麦汁」と「二番搾り麦汁」の飲み比べは貴重な体験で、とても興味深かったです。

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(麦汁の試飲コーナーにて)

★キリンビール横浜工場
http://www.kirin.co.jp/entertainment/factory/yokohama/


2015年3月に鶴見区と本学は「包括連携協定」を締結し、様々な事業で協力していくことになりましたが、その一環として、「鶴見区工業会」が発行する「鶴見区工業会会報」の中で工業会所属企業を紹介する記事を商科大が担当することになりました。

今年、鶴見区が区制90周年を迎えるにあたり、これまで商科大学で担当してきた22社と、鶴見区らしい企業、事業所等41箇所の取材記事を新たに加えてまとめ、『TSURUCHARM~私が見た鶴見★しごと~』として冊子を発行することとなりました。

本ブログでは、冊子のなかで紹介できなかった内容について広くご紹介致します!
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今回は、鶴見区仲通り商店街にあるおきなわ物産センターに伺いました。取材を担当するのは、高羽地域産業研究所研究員、学生スタッフ大宮(商学科2年)です。

【株式会社おきなわ物産センターは、どんなところ?】
おきなわ物産センターは、先代の下里英俊氏が1986(昭和61)年に「沖縄の台所に直結するもの」をキーワードに沖縄の特産品、生鮮・加工食品や民芸品などの小売り・卸販売業として仲通り商店街で開業しました。鶴見には昭和初期より、京浜工業地帯の働き手として多くの沖縄県出身者が移住してきました。現在でも3万人ともいわれています。沖縄の食材、雑貨を販売する店舗がなくニーズが高かったことがこの地で開業する判断になりました。社名の「おきなわ」をひらがなにしたのは、漢字の堅苦しさのイメージを柔らかくし、親しみやすさを感じせたいという先代の考えがあったからそうです。

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(おきなわ物産センターの店舗前)

現在は、ご子息の下里優太氏が先代から受け継いだ事業以外に、沖縄文化の魅力を発信する場として沖縄関連イベントの情報提供や運営企画も行っています。テレビ、新聞、雑誌などでも多数取り上げられ、遠方からも沖縄ファンや沖縄出身芸能人もたくさん訪れ、親しまれています。
 
おきなわ物産ブログ_2.JPG(取材の様子)

【豊富な品ぞろえで島人(しまんちゅ)の総合スーパーを目指す】
おきなわ物産センターで取り扱っている品物は1,000種類以上あり、沖縄県産の豚肉やゴーヤ、島豆腐などの生鮮品は航空便で直接仕入れています。他に調味料やポーク缶詰、冷凍食品、健康食材など日常生活に欠かせない物はもちろん、お酒の種類が豊富で、ハブ酒のような珍しい沖縄特産品も揃っています。
 
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(学生記者に沖縄の商品を説明している下里社長)

自社工場の自慢の商品その1 サーターアンダギー
沖縄の代表的なお菓子と言えばサーターアンダギー。店舗では作りたてのものが購入できるので、大人気です。一口で食べられる丁度良いサイズで、砂糖の加減と揚げたての温かさがとても美味しかったです。また1個80円(黒糖90円)とお得な値段で販売しているので、ぜひ食べてほしい一品です。
 
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(沖縄の代表的なお菓子サーターアンダギー)

自社工場の自慢の商品その2 沖縄そば
沖縄の郷土料理の定番と言えば沖縄そば(ソーキそば)。ここで作っている沖縄そばは、そば粉を使わず、小麦粉を使っているので、そばアレルギーの方でも食べられるのが特長です。スープはうどんやそばに近く、麺は中華麺のしっかりした触感で、麺類の料理の良いとこ取りをしたような料理です。
店舗では麺だけではなく、だしや肉などの素材も一緒に購入できます。また、隣接している「おきなわ亭」でも食べられます。私が食べた感想としては、麺の触感がしっかりしていて、スープの味も出汁が肉の濃い味にマッチしてとても美味しかったので、こちらもぜひ食べてみてほしいです。
 
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(沖縄の郷土料理 沖縄そば)

食材以外では、「三(さん)線(しん)」や「パーランク―」という太鼓のような楽器、工工四(くんくんし)(沖縄三線の楽譜)、民芸品やCD・DVD、健康補助品など沖縄ファンに喜ばれるような物を厳選し販売しています。

【最近社長が嬉しかったこと】
先日、「エイサー」という沖縄伝統の演舞で使う「パーランク―」という太鼓の注文を100個程受けたことがあったそうです。驚いて事情を聞くと、近隣小学校の運動会で「エイサー」が行われることになったためだったそうで、下里社長は、地域にとって沖縄の文化が身近な存在になっていると感じ、とても嬉しかったとおっしゃっていました。

【沖縄と鶴見の懸け橋への取り組み】
去年11月に入船公園で「第1回鶴見ウチナー祭」が開催され大いに賑わいました。2日間で総勢5万人が来場し、沖縄の食と文化を満喫しました。主催実行委員長を務めた下里社長は、「祭で鶴見を盛り上げ、故郷沖縄に還元したい」という強い想いで実現させました。
鶴見には南米の方も大勢在住していることから、ウチナー祭にも出店してもらいました。言葉の面で意思疎通に苦労する場面もありましたが、皆で協力しながら一緒にお祭りを盛り上げることができたそうです。今後は年に二回開催する目標を掲げており、将来的には、「ウチナー祭を区の代表的な祭りにしたい」という大きな夢もあるそうです。

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(ウチナー祭の様子)

また、毎年沖縄で開催される「沖縄国際映画祭」を支援する「つるみ応援団」を沖縄県外で初めて結成し、その協力団員として今年5月征矢区長とともに沖縄国際映画祭のレッドカーペットを歩いたそうです。沖縄県庁も訪ね、鶴見と沖縄のさらなる友好関係を築けるよう積極的に活動を行っています。

【若き経営者のチャレンジ精神】
社長に就任して2年目となる下里氏は、経営者でありながら、沖縄文化を広める発信者でもあり、チャレンジ精神が旺盛です。物産センターには「おきなわ亭」を併設、自社工場で作った出来立ての食を毎日提供して、特に沖縄そばが大人気だそうです。百貨店や地元スーパーなどから催事出店の要請も多くお客様から好評を得ています。

また、毎年8月に仲通商店街で開催されるエイサー祭「道じゅねー」の後援するほか、神奈川県内や他県での沖縄イベントにも積極的に参加し沖縄の魅力を広めています。
 
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(取材を受けてくださった下里社長)

【取材を終えて】
今回の取材を通して、普段味わえない沖縄の雰囲気やにぎやかさ、おいしさを短い間で体感でき、沖縄旅行の気分を味わえました。鶴見のイベントや沖縄文化をもっと知り、地域に貢献するよう活動したいと思いました。貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。
 
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(下里社長と学生記者大宮)

★株式会社おきなわ物産センター
http://okinawa-bussan.net/

2015年3月に鶴見区と本学は「包括連携協定」を締結し、様々な事業で協力していくことになりましたが、その一環として、「鶴見区工業会」が発行する「鶴見区工業会会報」の中で工業会所属企業を紹介する記事を商科大が担当することになりました。

今年、鶴見区が区制90周年を迎えるにあたり、これまで商科大学で担当してきた22社と、鶴見区らしい企業、事業所等41箇所の取材記事を新たに加えてまとめ、『TSURUCHARM~私が見た鶴見★しごと~』として冊子を発行することとなりました。

本ブログでは、冊子のなかで紹介できなかった内容について広くご紹介致します!
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今回は、日産自動車株式会社の横浜工場に伺いました。取材を担当するのは、小林地域産業研究所所長、高羽地域産業研究所研究員、学生スタッフ菅野(商学科3年)です。

【日産自動車株式会社横浜工場、どんなところ?】
日産自動車株式会社は、1933(昭和8)年に自動車部品から最終組み立てまで行う自動車一環生産工場として横浜で創立しました。現在の横浜工場は、総面積約54万㎡(東京ドーム約11個分)という非常に広大な敷地で、エンジンやモーター、サスペンション部品といった自動車の最重要部品のマザー工場として操業しています。敷地内には日産エンジンミュージアムを併設しており、日産自動車の歴史等について学ぶこともできます。
 
★日産ブログ_1.JPG
(取材時の様子)

【横浜工場の取り組みと新たなプロジェクト】
村田工場長は、「人々の生活を豊かに」という日産自動車のビジョンのもと、革新的な挑戦をしつつ、安全や環境問題を解決する商品を提供していくことを横浜工場の役割としているそうです。最近の大きなプロジェクトとして、世界初のVCターボエンジンを生産準備したことが挙げられます。このエンジンは、世界初の可変圧縮比技術を採用しました。同技術により高性能2リッターガソリンターボエンジンのパワーとディーゼルエンジンの特長である高いトルクと効率性を併せ持つこれまでにない最先端のエンジンの一つです。
 
★日産ブログ_2_VCエンジン.jpg(VCエンジン)

また、村田工場長は地元あっての工場であるということを繰り返しおっしゃっており、子供と高齢者の交通事故防止を目的とした「ハローセーフティーキャンペーン」を行ったり、毎年行われる祭りでのバザーの売り上げと監督者組織の募金で鶴見区、神奈川区内の福祉施設へ物品を寄付したりと、地域貢献活動も積極的に行っています。

 
★日産ブログ_3.JPG
(お話を伺った村田横浜工場長)

【世界に誇る「匠」の技術】
 横浜工場には、日産自動車が誇るスポーツカー「GT-R」のエンジン組み立てを「匠」と呼ばれる職人が、塵や埃のない専用のクリーンルームで1基1基組み立てています。「匠」は、日本を含む世界20の国や地域で展開する日産自動車のなかでもこの横浜工場に所属するわずか5名のみ。卓越した感覚と手組みによる精密さで、数ミクロン単位で部品の調整等を行うそうです。組み立てられたエンジンには「匠」のネームプレートが装着されており、職人としての誇りとその品質に最後まで責任をもつという覚悟の証でもあります。
 
★日産ブログ_4.JPG
(エンジンミュージアム内の様子)
 
★日産ブログ_5_GT-R.jpg
(GT-R)

【工場見学を通して】
 取材後に工場を見学させていただきましたが、広い工場内には、様々なエンジンの生産ラインがくまなく張り巡らされており、圧倒されました。ほとんどの工程で、ロボットや機械による自動化が進んでおり、敷地面積に対して、想像していたより作業員の方が少ないことが印象的でした。
 
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(工場内の様子:シリンダーブロック投入ロボット)

通常約1時間の見学コースのところ、一般見学では見ることのできない場所まで案内して頂き、横浜工場の広大さと生産量の多さを実感しました。年間約3万人以上が訪れるという一般向けの工場見学ツアーはとても人気で、常に3ヶ月先まで予約がいっぱいの状態だそうです。鶴見区・神奈川区の小学校を対象に優先枠を設けるなど、毎年たくさんの見学申込があるそうで、小学生にとっても、モノづくりを間近で体験することのできるとても良い機会であると感じました。

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 (日産横浜工場ゲストホール河村館長にご案内いただきました)

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 (エンジンミュージアム前で、河村館長と共に)

【取材メモ】
世界を代表する自動車メーカーの取材にお伺いし、最初はとても緊張しましたが、「明るく楽しく元気に」がモットーだという工場長から、エンジンや自動車業界について気さくにお話いただき、自動車のことが以前より身近に感じられるようになりました。

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 (学生記者菅野と村田工場長)

★日産自動車株式会社 横浜工場
http://www.nissan-global.com/JP/PLANT/YOKOHAMA/

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